純度100パーセントの小谷美紗子が詰まった作品
初のセルフ・アレンジ&セルフ・プロデュース作品となるアルバム『yeh』を9月25日にリリースする小谷美紗子。自身の思いを希釈することなく曲へと昇華させるその手つき、姿勢、表情……そうした音楽に息づく生々しさが、ときに深く、ときに軽やかにリスナーを歌の世界へと導く。曲を作って、歌を歌うことでしか生きられない覚悟に満ちた作品は、暗い夜道をほのかに照らす月明かりのように優しく、けれどたしかに響く。「多様性」や「ダイバーシティ」といった言葉ばかりが先行する世の中にあって、言葉のその奥にある本質にたどり着くために必要なものとは――? 小谷美紗子と巡る、愛についての考察。
■インタビュー・文:谷岡正浩
「音楽家として自分の中に積み上がったものがやっと出せるな、という感じがあります」
――前回のオリジナル・アルバム『us』から結構な時間が経ちました。
小谷美紗子(以下、小谷):どれくらい空いてます?
――『us』は2014年だったので、5年ですね。
小谷:あははは。空いてる空いてる(笑)。
――(笑)。とはいえ、この5年の間には20周年の活動があって、その一環でピアノ弾き語りベスト・アルバム『MONSTER』をリリースしたり、楽曲提供を行ったり、また最近では初の詩集『PARADIGM SHIFT』を制作したりと、かなり活発な動きがありましたよね。
小谷:ツアーも毎年やっているのでね。とくにこの1、2年は今までで一番バタバタしていましたね。いろんなことが同時進行していて、デビューの頃よりも忙しかった(笑)。それもこれも今回は全曲自分で編曲しているからなんですよ。『us』の時はトリオでアレンジしていたから。今回のアルバムの一番の違いはそこですかね。
――今回のアルバム『yeh』は初のセルフ・アレンジ&セルフ・プロデュース作品ですね。ひとりでアレンジまでするようになったきっかけは?
小谷:安藤裕子ちゃんに楽曲提供をした時にアレンジも任せて頂いて、そこではじめてPro Toolsを使ったんですけど、「あ、これ、できるじゃない、わたくし」と思って(笑)。それからですね、自分ひとりでアレンジまでやろうと思うようになったのは。3枚目のアルバム「うた き」以降やトリオの時もミュージシャンと一緒に編曲をしてい たんですけど、わりと私の楽曲から感じたものを自由に解釈して演奏して頂いていたので。 今回はドラムやベースのアプローチも細かく作りました。そうすると1曲にかかる時間というのは増えましたね、必然的に。だから共同アレンジの方が断然早い(笑)。やっぱりひとりでやっていると果てしないんですよね。いつまでも追求しちゃうから。
――時間はかかるけど、ひとりでやる方が、より自分のイメージに近づけるという感覚でしょうか?
小谷:はい。でも例えばベーシストの指の事情のことをあまり考えずにフレーズを作るので、そしたら実際ここは物理的には無理だよっていうところも出てくるわけで。そこで起こる化学反応みたいなものも楽しみとしてはありましたね。
――そうすると今回のアルバムはかなり純度の高い小谷美紗子が詰め込まれた作品ということが言えますね。
小谷:100パーセントに近いかもしれませんね(笑)。あと大きかったのは、曲を作ることとは別に詩が先にあるということでした。
――詩集『PARADIGM SHIFT』ですね。
小谷:そうです。詩になっているものをいざ曲にするとなると相当難しいんだろうなって思っていたんですけど、それが案外すんなりいったんですよね。だからやっぱり自分の思っていることと自分から出てくる音楽っていうのは連動しているんだなっていうことがわかりました。つまりわたしの音楽は、常に思いが先にあるんだなって。
――『us』では、東日本大震災の記憶を歌にするまでにかかった時間があったわけですけど、今回の5年というのは、何か明確なきっかけやテーマがあるわけではなく、小谷美紗子の5年間の中から生まれてきたもの、という感覚ですか?
小谷:そういう意味では、無理をせずに自然にできた曲や歌詞ばかりですね。今まではわりといつまでに出さなければいけないとか、震災のことをなかなか言葉にできない、でも何かの役に立ちたいという葛藤の期間だったりがあったんですけど、今回はそういうのとは違いますね。だから音楽家として自分の中に積み上がったものがやっと出せるな、という感じがあります。
「やっぱり面白い人生なんだな、私の人生はっていうか、普通には生かしてもらえないんだなっていうことを覚悟した」
――今回のアルバム『yeh』を制作する大きなきっかけのひとつとなったのが、先ほども話題にありました、初の詩集『PARADIGM SHIFT』ですよね。
小谷:そうですね。言葉を大事にしてるっぽいイメージがあるわりに、そういえば詩集って出していなかったなと思って(笑)。それで、音になるかどうかはとりあえず置いておいて、先に言葉を詩にして出してみるということをやったら、改めて言葉と向き合う良い機会になるんじゃないかなと思いました。詩集を作るって決めてから書いたものは言葉だけで成立するものを意識しました。だから書きながら、これはメロディにはできないだろうなって思いながらやってました(笑)。
――これまでも詞先の場合というのは多かったと思うのですが、それと比べてもまた違う体験でしたか?
小谷:これまでは、あまりにもメロディがつきにくそうな言葉はそもそも選んでいなかったような気がしますね、それは意識的というよりも自然に。言葉とメロディって一緒に出てくることの方が多いから、曲を作る場合って。言葉に対してメロディ側が合わせていくような感覚というか。それと比べたら詩の場合は、言葉的にはより自由にできたのかなと思います。
――音楽に縛られず詩を先に書くということが、結果として曲作りの制約にはなりませんでしたか?
小谷:なかったですね。メロディやオケが先にあって、そこに無理やり言葉を詰め込んでいくということの方がむしろ難しい。そうしてしまうと、音楽を作るため、とか、リリースをするため、というような目的ありきの取ってつけたような歌詞になりがちかなと。曲先の場合は英語になりがち。英語はメロディと合わせやすくてメロディの良さを引き立たせるので。だから日本語で良い曲を書く為には、まずはじめに言いたいことがないと何も始まらないというか。一番いいのは言葉もメロディも両方いっぺんに出てくる時ですね。そういう時って自分の感情が先にあるから、そこに言葉とメロディが同時にくっついてくるんです。
――改めて、初の詩集を作ってみていかがでしたか?
小谷:いやもう、こんなに豪華なものを作っちゃってっていう(笑)。でもやっぱり言葉は大切なんでね、装丁や紙はこだわってやらせていただきました。
――詩集を手に取った皆さんが驚くのは、まだ曲になっていない詩の一篇一篇の新鮮さはもちろんですが、そこに添えられた写真の説得力です。あれは小谷さん自身が撮影されたんですよね?
小谷:そうそう(笑)。写真をものすごく褒められるんですけど、スマホでぺぺっと撮ったやつだから(笑)。
――(笑)。今お話しして思ったのは、言葉とメロディの関係って、この詩集にある詩と写真の関係にすごく近いんじゃないかなと思いました。
小谷:そうなんですよね。だから無意識に詩に合った写真を撮るんですよね。
――小谷さんの曲作りの原型が感じられる貴重なものですね。
小谷:ヒントがあるって感じですね。
――詩集のタイトルが『PARADIGM SHIFT』で、アルバムが『yeh』になりました。個人的にはタイトルは、アルバムも詩集と一緒のものになると思っていました。
小谷:一緒っていうアイデアもあったんですよ。『PARADIGM SHIFT』っていいタイトルだし、詩としてもわたしの言いたいことをわかりやすく言っている曲なので。それがタイトルになってもいいと思っていたんですけど、今回のアルバムが出てくる過程で、どろどろの昼ドラの脚本を一本書けるくらいのことがいっぱいあったんですよ(笑)。
――えー!
小谷:こんなことが起きるんだ!ってくらいのことが起こったし、アーティストならではの被害みたいなことが結構あって。その渦中にある時は怒ってもいるし、そういう時のライブのMCでは「今悪魔と闘ってます」って言ったりしてたくらい(笑)。でも、やっぱり面白い人生なんだな、わたしの人生はっていうか、普通には生かしてもらえないんだなっていうことを覚悟したというか。だから音楽ができるし、そうやって生きていくしかないんだって開き直ったんですよね。今はそのこと自体を笑えるし、それをエンタテインメントにできる自分にも気づけたし、曲もできたし……まわりの人たちにも助けてもらったし。本当に困った時に防波堤になろうとしてくれる人がいたり。なんか、幸せだなぁって思えたんですよね。
――ものすごいネガティブな感情をギリギリでポジティブに変えて放出するっていう過程は、小谷さんがこれまで作ってきた歌そのものですよね。
小谷:そう。だからやっぱりわたしはわたしなんですねっていうね。それを再確認した感じです。
――今「開き直った」っておっしゃいましたが、今回のアルバムの全体感が、たしかにそういうような、はっちゃけた明るさではない明るさというか、いろんな感情を含んだ『yeh』ですよね。
小谷:そうそう。これまではあんまり歌の中で〝yeh〟って言うことはなかったんですけど、今回は結構言ってるんですよね、自然と。だからちゃんと乗り越えられたんだなって思って。かなり深いところから出てきている〝yeh〟ですね(笑)。
「結局は愛というか情というか、そういうものがあるから人間はつづいているんだろうなって思います」
――小谷さんが音楽を作る原動力として、怒りや悲しみ、そういった感情や記憶があって、そこは変わらないと思うのですが、それでもそこに新しく加わったものってないですか?
小谷:前よりも人間に興味があるというか、人間の感情の仕組みですね。どうしてそういう気持ちになるのかとか。昔から興味はあったんですけど、より強くなりましたね。例えば今はメンタルに関する病気って多いじゃないですか。でもそれらはきっと昔からあって、時代によっては病気と認められないからただの怠け者みたいに扱われたりしたわけじゃないですか。
――名付けられないものへの反発とか拒絶とか差別ですね。
小谷:だから言葉という枠組みがあれば受け入れやすいんですけど、本当の理解ってそこを超えていかなければいけないというか。じゃないと、ただの冷たい人になってしまう。
――小谷さんの歌って、決して歌の外側から「がんばれ」っていうようなものじゃなくて、歌の中に励ます人と励まされる人が同列に存在している。そこにリアリティが宿っていますよね。
小谷:基本は自分に向かって言っているんですよね。もちろん誰かを励ましたいという気持ちはあるけど、そういう歌を作ろうって思った瞬間にそれができなくなってしまうんですよ。
――だから丸ごと歌にダイブしていくしかない。
小谷:そういう感覚かもしれないですね。
――今回のアルバム収録曲の中でそれをもっとも感じたのは、「夜明け前」と「孤独の音が聞こえる」です。
小谷:「孤独の音が聞こえる」はさらっと書いた曲ですね。あまり難しく考えず。富士の樹海に思い詰めて来る人がいっぱいいて、そういう人たちが引き返すように話をしたりとか、助けたりとかするボランティアの人がいて、そういう人たちの話をYouTubeとかで見てたんです。そうしたら、純粋に、「よくここまで来たね」って思えて、その気持ちをそのまま詩にしたんですよね。
――「孤独の音が聞こえる」は、その前にある「青天の霹靂」からつづけて聴くことで、そのメッセージが際立つという曲順による効果もありますよね。
小谷:ああ、そうかもしれませんね。そこを意識して曲順を決めたわけではなかったんですけど、「孤独の音が聞こえる」の演奏やアレンジがすごくうまくいったので、気持ち的にはもっと前の方にあってもいいなと思ったんですけど、自然と最後に収まりましたね。
――曲順で言うと、1曲目が「償い税」で、いきなりピアノの入ってない曲で来たか!という驚きがありました。
小谷:詩を書いた段階で、まあまあ面白い詩を書いてしまったなと思って(笑)、歌にしたらもっと軽やかに届くだろうなと想像できたんですよね。その段階で、小倉博和さんにギターを弾いて頂こうと思いました。1曲目にしたのは、今までピアノが入った曲がアルバムのオープニングになることが多かったんですけど、そこもパラダイムシフトということで。
――そういう意味では「パラダイムシフト」という言葉が全体を貫くテーマともなって、ずっと鳴っているような印象がありますね。もちろん詩集からのストーリーもありますし。そもそもこの言葉はどういうところから出てきたんでしょうか?
小谷:さっきの人間への興味という話にも通じるんですけど、個人的ないろんなことを乗り越える中で、今まで当たり前だと思っていたことが、じつはちゃんと調べるとまったく違ったりだとか、そういうことっていっぱいあるなって思ったんです。一方で重大な出来事が起こっているのに、それはニュースにならなくて、ゴシップみたいなものばかりが集中的に取り上げられたりする。大事なことがちゃんと伝わっていないという感覚。あまりにもそういうことがつづくと、もう頼れないんだなって、無料の情報には。それで自分でいろいろ調べるようになって、たとえば「りんごは赤色です」と。でもその〝赤色〟っていうのは、誰かがそう言ったからそうなのであって、その色は〝赤色〟じゃないかもしれない。それは善悪も同じで、わたしたちの暮らす世界では、人を殺めてはいけないということになっていて、わたしはそれを当たり前だと信じているけど、でもそれだって人が作ったものだから、〝もう一方〟もあるはずなんです。その〝もう一方〟で生きてしまっている人がいる。わたしが何年生きられるかは分からないけれど、一方だけを知って生きるのではなく、もう一方も知っておきたいというか。りんごの話に戻すと、「だって昔からそうだから」と赤を赤と認識する人、そして、「どうして誰かが決めたものに縛られなきゃいけないんだ」と赤を赤と認識しない人――その価値観の違いにすごく興味があるんですよね。わたしに置き換えたら、わたしは自分の音楽がすごく好きでやっているけど、わたしの音楽を全然いいと思わない人もいる。その人の脳みそに興味があるし(笑)、一方でその人がいいと思っている音楽があるはずで、でもそれにはわたしはきっと納得できないはずなんですよね。それがわたしの価値観だし、あなたの価値観だし、そうか、こんなにも人って違うんだっていうことをいっぱい経験して死にたいというか。
――その興味の本質は、正反対の価値観の奥に共通の真実があるはずだという思いがある証拠なのではないでしょうか。だからこそ「パラダイムシフト」の歌詞にある〈誠を見抜く用意はある〉という言葉が響くのであって、そうじゃないと、つまりどこかに真実があるんだって信じる気持ちがないと、辛くないですか?
小谷:そうですね。やっぱり根本的には、今簡単に使われている愛っていうものが属するグループとは違う、本当の人間の存在に根ざす独特の愛みたいなものが確実にあって、そこは揺るぎないというか、そこがしっかりしてるからこそ自分とは違う価値観も認められるんじゃないかなと思います。だから愛がないところでいっぱい嫌な事件もあったり裏切りもあったりするけど、愛があるところには幸せと平和がある。この先も人間が生きていく上では、やっぱり平和じゃないといけないし、そうだとすれば愛というものが必要不可欠なものなんじゃないかなと思いますね。ただもしかしたら、愛っていうのは脳の誤作動ですよっていう考え方の方が合っているのかもしれないし(笑)。でも自分の中では結局は愛というか情というか、そういうものがあるから人間はつづいているんだろうなって思います。
――〝愛〟や〝情〟が、そのまま〝歌〟になっているんだと思いました。
小谷:やっぱりそれがないとわたしみたいな歌は歌ってないだろうし。家族に向けるための愛や情だけではなくて、他人に向けるための愛や情っていうものが一番尊いなっていうふうにわたしは思っています。
――さて。11月からツアーが始まります。アルバムはセルフ・アレンジですが、どういった編成でのライブになりますか?
小谷:今のところはピアノ、ドラム玉田豊夢、ベース山口寛雄の、いつものトリオの予定です。
――ライブ・アレンジも楽しみです。
小谷:レコーディングの時に「これはライブでは絶対にできない」って宣言されている曲もあるので、とくにベースは(笑)。でもやってくれると思いますよ。やってっていうオーラをわたしがずっと出してますから(笑)。
――トリオへの愛を感じます(笑)。
小谷:うふふふふ。
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