『ピテカントロプスになる日 vol.3』Special Talk
EGO-WRAPPIN’×柳原陽一郎 

2015年のデビュー25周年を機にスタートした柳原陽一郎(ex.たま)のライブイベント『ピテカントロプスになる日』。出演者それぞれの音楽はもちろん、お互いの音楽も楽しくシェアすることをテーマとしたこのイベント。第3回目の共演者は2016年4月に結成20周年を記念してリリースされたベストアルバム『ROUTE 20 HIT THE ROAD』に『さよなら人類』のカヴァー曲を収録したエゴ・ラッピン。お互いのオリジナル曲はもちろん、話せば話すほど3人とも大好きな歌謡曲話で盛りあがり、なんとその場で歌謡曲カヴァーも決定──。という、どう考えても盛りだくさんなセッション必至の3人によるライブ、ぜひともお見逃しなく!

「エゴさんの『さよなら人類』を聴いて、あぁ~もうちゃんと旅立ったな、この曲はって思いました」(柳原)


●柳原陽一郎(以下、柳原):『さよなら人類』の素敵なカヴァー、ありがとうございました。

●森 雅樹(以下、森):こちらこそカヴァーさせていただけて嬉しかったです。

●中納(以下、中納):もう本当に。

●柳原:去年はエゴさん以外にハンバートハンバートさんとか何組かの方が『さよなら人類』をカヴァーしてくれて。印象としてはハンバートさんがアーシーな感じで、エゴさんがスペーシーな感じというか。ハンバートさんはデビューの頃から面識があったこともあって、なんか自分と地続きな感じがしたんですね。あぁ~わかるわかる、友達がやってくれてる、みたいな。でもエゴさんのは、「あぁ~もうちゃんと旅立ったな、この曲は」って思いました。ある意味、もう僕のもんじゃないんだなぁっていうような。

●森●中納:そうですか?

●柳原:だからすごく冷静に聴けました。これはこれとしてあるんだなって。そういう経験が自分の歌でできたのが、本当にすごく幸せで。「こんなふうに育っていってるんだなぁ」って、とても嬉しかったです。そういう意味で去年はいいプレゼントをたくさんいただいたなぁと。ところで『さよなら人類』を初めて知ったのは何で?

●森:高校生のとき、テレビの歌番組で観たのが最初ですね。大阪でイカ天はやってなかったんで。

●中納:関東の人とか東の人は、イカ天で知ったってよく聞きますけど。でも“たま”の曲はすごい自由な音楽ですよね。いい意味でやりたいこととか、思ったことをそのまま吐き出してるっていうのをすごく感じてました。

●柳原:でもけっこう時間かかってるんですよ。

●中納:1曲作るのに?

●柳原:はいはい。ちっこ~いネタをどれだけ面白くできるかで、1曲にホントに1年くらいかけてちこまかちこまかやって。だから初めてインディーズでレコードを出したのが86、87年くらいだったかな。……あ、その前にカセットは出してましたね。

●森:カセット! めっちゃいい!

●中納:めっちゃいい! そのカセット、まだあるんですか?

●柳原:音源はCDになってますね。そんな感じでやってたんですけど、ひょんなことからコンテスト番組に出てしまって。

●森:あ、イカ天か。

●柳原:そう。僕、反対したんですけどね。

●中納:えっ? そうなんですか。

●柳原:ロックじゃないし、イカすバンドでもないし。イカしてないし(笑)。したら、そういう態度じゃダメって言われて。

●森:そういう態度じゃダメ(笑)。

●柳原:言われました。マネージャーさんみたいなことをやってくれてた人に。その頃は大阪とか名古屋にツアーも行けるようになってて。そういうときにチラシとか配るでしょ? でもテレビに出るっていうのは、チラシの100倍くらいの効果があると。それを君は、そんなことも知らないでテレビに出ないって。どんだけ子どもなの?って言われて。

●中納:ふっはははは。

●柳原:すいません!つって。出ます!出ます!喜んで出ます!って。そしたらあんなになっちゃって。やっぱりすごいですね、テレビっていうのは。そういうご苦労はなかったですか? だってすごかったじゃないですか、2000年頃だったかな。ウチ、そんなに邦楽とかは聴かないですけど、それでもエゴさんのCDはいっぱいありましたもん。

●森:えっ?! ホントですか?

●柳原:はい。

●森:え──!

●柳原:いろんなとこからもらったりして。こういうの、流行ってんだよって。

●森:流行ってたかは……。

●柳原:流行ってたと思いますよ。

●森:でもあんま、そこまでないねぇ。テレビにほとんど出てないですし。

●柳原:じゃFMとかで広がった?

●中納:それこそ、濱マイクのドラマの主題歌さしてもらって。(2002年、ドラマ『私立探偵 濱マイク』の主題歌に『くちばしにチェリー』が起用される)

●柳原:あ─────! そうそう!

●森:だけど、そっから音楽番組に出るとかも、なかったですし。

●中納:出ろって言われても。出なかったっていうのもありました。

●柳原:いいっすね~。そういう感じ。

●森:生意気やった。

●柳原:そういうの格好いいですね~。

●森:出ぇへんほうがかっこええみたいに思ってて。ちょっとミステリアスなとこ残すほうが、とか。

●柳原:僕ら最初に出ちゃったから(笑)。それ、通用しなくなっちゃったんですよね。

●森:でもビジュアル、インパクトがあったから、出たほうが……。

●中納:うん、出たほうが。

●柳原:そうかもしれない(笑)。

●中納:“たま”は今見ても特殊ですもんね。他にないから。いまだにないですよね、柳原さんたちの世界って。

●柳原:そうですかねぇ。

●森:でも柳原さんはどっちかって言うと、メンバーのなかでも一人確信犯な感じがするんですよ。謎めいてて。

●中納:そうやなぁ。すごい秘めたものがあって。

●柳原:ああいうバンドだったんで、キワモノというか、そういう感じに見られるのも嫌だったし。ロックもすごい大好きなんですけど、なんか大きな声でロックとも言いにくかったし(笑)。ほんとはパンクロックも大好きなんだけれども。

●中納:パンクな匂いはすごいします。

●柳原:でしょ? でも、あの当時は誰もパンクロックって思ってくれなかったですね。

●森:キャロライナレインボーみたいな、ちょっとこう、なんて言うんですかね、スカム系っていうか。

●柳原:スカムね。“たま”は80年代の中頃くらいから始めたんですけど、世の中はマイケル・ジャクソンとMTVの時代で。フォークとかああいう音楽が一番力がなくて。もう終わっちゃった音楽っていう感じで。あの頃はビートルズでさえそうだったんですよ。

●中納:マイケル方向じゃないですもんねぇ。

●柳原:そう、明らかに昔ながらのフォークのスタイルに近かったんで。だからそういうなかで、どうやって時代に乗っかっていけるのかっていうことはすごく考えてて。売れる売れないじゃなくてね。だったらなんかビートルズっぽいところとか、もっと古~い日本の感じというか。僕、かしまし娘とか大好きなんですけど、ああいう感じをあえて入れてみたりしたら、このマイケル・ジャクソンの時代の隅のどっかに置いてもらえるかなぁみたいなことは考えてましたね。

●中納:あえて逆をいく。

●柳原:そうですね。あえて逆行する感じ。実際、“たま”は最初3人(石川浩司、知久寿焼、柳原)だったんですけど、その頃はほとんど演芸バンドで。同世代の若い子には全くウケなかったんですけど、おじちゃんやおばちゃんにはほんとにウケて。特に西日本のおばちゃんに。

●中納:西日本の(笑)。

●柳原:「ランニングの兄ちゃん」つって、ものすごくおばちゃんウケしてたので。

●中納・●森:ぶははは。

●柳原:それがすごく距離を近くしてくれて。やってる歌は、口にするのも憚られるようなおどろおどろしいものだったんですけどね。でもウケるから。それがすごく嬉しくて勝手にプロになれるんだろうなぁと思ってました。なんの根拠もないくせに。

●中納:そうなんですよ。なんの根拠もなく、そう思うんですよね(笑)。

「2人があまりにビジネスのこととかわかってないから、見かねて介護的な感じで助けてくれた(笑)」(森)


●柳原陽一郎(以下、柳原):自分たちのやってることに、初めて手応えみたいなのを感じた記憶ってあります? これやっていけるかもとか。自分たちに力があるのかもとか。

●中納(以下、中納):私は森くんと出会って、なんか「あ、いけるかも」って。初めて一緒に曲を作ったときにババババってできたんですよ。そのとき「あれ、これ、絶対いけるわ」って確信した記憶があります。

●柳原:お客さんがどうとかじゃなく。

●中納:なんか……当時は、とりあえず自分の存在とか表現方法が、たまたま音楽やったっていう感じやったんで。

●柳原:音楽を選びとったというよりは。

●中納:そう……。あ、でもどうかなぁ……。どっちもあるかもわかんないです。表現したいっていうのが先にあって、それで音楽を選んで、森くんと一緒に曲を作れたとき、できるんやっていう確信がすごく湧いたんですね。

●柳原:なんかこう、せき止められてた水がドォッといった感じ。

●中納:そうです、やれるなって。だからって、まぁ全然すぐにはバーンとはいかなかったですけど。でも、つどつど誰かが助けてくれたっていうか。「俺がレコーディング費用出したるわ」って言ってくれたトラック運転してる兄ちゃんとかが出てきたり。

●柳原:トラックの? 兄ちゃんが?

●森 雅樹(以下、森):トラックの運転をしながらライブハウスのPAやってる人やったんですけど。僕らのライブを観て気に入ってくれて。

●柳原:そういうボランティア的なキーパーソンって現れてくるよね。

●森:物販やってくれたりとか。

●中納:お金にならへんけど、ちょっとマネージメントしてあげるとか。

●柳原:そうそう。そのあと切ない別れもあるんだけどね。

●中納:そうなんです! そうなんです! 切ない別れ。

●森:俺とよっちゃんが音楽以外のこと、あまりにわかってないっていうのも、あったもんな。ビジネスのこととか。

●中納:まったくわかってない(笑)。

●森:見かねた周りが、介護的な感じで助けてくれましたね(笑)。

●柳原:森さんにとって「これはいけるで」的な瞬間ってありました?

●森:これはいけるで感……。

●柳原:出会ったとき?

●森:出会ったときに、いけるで感……。なかったかな……。

●中納:あはははは。

●森:いけるで感……。難しいわ、いけるで感……。

●中納:いきなりお客さんが増えたときあったやん。私はあれが第2のいけるで感。

●森:あぁ、あんときね。

●中納:でも森くんは、けっこう常にがむしゃらやったかもしれんけど。安定してるっていうか。

●柳原:フラットなのかな。

●中納:そう、フラットな。で、いい意味で自信家やったと思うんですよ。

●森:あぁ、生意気やったな。

●中納:森くん、できかけの曲とかでも聴かせるんです。私は絶対聴かせたくないんですけど。

●森:めっちゃ聴かせてますね(笑)。

●柳原:どれくらいできかけなんですか。

●中納:もう全然できかけ。

●森:すぐ聴かせたくなるというか。

●柳原:それ、わかれますよね。できかけ聴かせたい人と、みっちり作りたい人と。

●中納:私、あとのほうですね。

●森:も~ぉできかけで。どうやろ、みたいな。

●柳原:エゴさんは最初から2人だったんですか。

●森:そうです。最初からギターとボーカルで。

●柳原:最初の頃はどんな歌だったんですか。その頃からオリジナル?

●森:オリジナルとか、お互いの好きな音楽をカヴァーしあうみたいな。

●中納:大阪のビルの上で2人で練習して。

●柳原:ビルの上で?

●森:ビルの上で(笑)。ギターだけだと、どこでもできるんで。で、ライブをするようになってギャラもらうようになると、バンドの資金として貯めて。それで車買ったり、スタジオ代を出したりっていうのにちょっと憧れてた。

●柳原:僕らも、たま金って言って、お金貯めてました。あははははは。

●中納:逆だ。ははははは。

●森:それ、いいなぁ(笑)。

●柳原:貯まってくと嬉しいもんですよね。で、デビューが?

●中納:1996年。5年間大阪でインディーズでやって。2001年からメジャーでお世話になることになって。

●柳原:すると「プロでやっていくんだ」みたいに思い始めた時期っていうと。

●森:東京来てからですね。

●柳原:大阪のとき、そういう感覚はなかったんですか。何がなんでもプロになるぜとか。

●中納:私は思ってましたね。

●森:思ってましたね。

●中納:融通のきくバイトをしながらやったんで、音楽で稼ぎたいとは思ってました。

●柳原:どんなバイトだったんでしょう。

●中納:飲食店とかポスティングとか。あとは案内係とか。

●柳原:……案内係? なんの?

●中納:あのぉ、大阪に空中庭園っていうのがあって。

●柳原:あるあるあるある。知ってる、知ってる。

●中納:あこで案内係をしてました。時給が良かったんです。柳原さんは、どんなのを?

●柳原:共同溝の見回りっていうの、やったことがあります。

●中納●森:共同……?

●柳原:地下に埋まってる、電話線と電気とガスがまとまってるデカいトンネルがあるんですよ。そこをずっとただ歩く。

●中納:へぇ~。チェックしながら。

●柳原:それを5時間くらいかけてモグラみたいに新宿からグルグルグルグル~っと回って池袋から顔出すみたいな。

●中納:なんか“たま”っぽいですね。

●森:うん、なんでかわからんけど、たしかに“たま”っぽい(笑)。

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